銀世界の棚田へ行く

ー 先週のこと、お腹の風邪(感染性胃腸炎)にかかり、この一週間というもの床にふせたままでした。ようやく一週遅れでお伝えする次第です。

一面白銀の世界

雪の少ない今年でも、先週は意外な大雪となった。何日か降り続いて40〜50cmくらい積もることは数年おきにあることだが、1日で30cmも降るのは珍しい。雪かきをしながら、10年ほど前の大雪続きの年の平成25年(2013年)のことを思い出した。各地で大雪のこの年は長野も1月に結構降って一段落、2月にようやく春かという頃に突然降り続く雪。この時期は水分が多いベタ雪が多いのだが、この時は軽い粉雪がどっさり積もった。その時の記録からいくつか拾ってみよう。

2月25日午前9時少し前、快晴。この日の最低気温約−10℃、この時期には珍しく冷え込んだ。陽が高くなると眩しさに寒さを忘れる。長楽寺からいつもの坂道に。サラサラした粉雪 は、深い雪でも足がとられずに歩ける。前夜の雪で空気中のチリが流されたから、冬らしいくっきりとした 群青色の空。ああ、来てよかった。

いつもの田んぼもこのとおり。雪の棚田をいくつか撮った中では、これが一番雪景色らしい。山も木々も真冬の朝のように雪がつき、田んぼに積もった雪はフワフワしたふとんのよう。すっかり雪で埋もれる雪国とは比べるまでもないが、この地域にしてはかなり降ったものだ。

大雪の記憶

この年は毎日にように降った雪が少しずつ降り積もった。1月から10cm以上の積雪が続き、山ではほとんど溶けないものだから、写真のように50cmは積もった。北日本は「東北豪雪」と呼ばれる大雪。このように「あの年はよく降った」と記憶に残る年があるもので、昭和から平成にかけては「○○豪雪」のように名前がついている。

古くは 三八豪雪(1963年)、その後も昭和50〜60年頃は大雪が多く、五六豪雪(1981年)はよく記憶に残っている。住宅設備も今ほど便利でなく、水道が凍るなどしたものだ。平成になると平成10年(1988年)の大雪が印象的。この 長野オリンピック の年は12月にさっぱり降らず年明けから大雪となり、無事大会が開催された。雪が積もった市内は夜までお祭りのような賑わいだった。

参考に長野の積雪量は、気象庁ホームページによると、三八豪雪平成10年でこのとおり。三八豪雪では2月になっても積雪が増え、住宅や人的な被害も大きかった。オリンピックの年は全国的には豪雪というほどでなく、長野大会には恵みの雪であった。

気象庁ホームページには気象観測が始まってからのデータが蓄積されているので、「今年は雨が多いのかな」なんてときに参考になる。名前がつくほどの大雪と比べれば今年の雪は少ない方であるし、気温が高めであるのはある意味ありがたいことである。



おまけ

話は戻り、平成25年の棚田から。長楽寺もすっかり雪の中。和尚さんが境内をせっせと雪かきしてくれた。それにしても、この青空。つい空に目がいってしまう。

これほどの雪はしばらくないだろう。大雪になってもっと積もったらどんな景色になるだろう。などと思っていたところ、その機会は案外早く訪れたのである。(続く)


前回のお話

次回のお話

コメント

このブログの人気の投稿

夏支度 ― 暑さに備えるあれこれ

もうすぐ田植え ― どうなる米価格

そこはオラの田 ― 田んぼにも境界があるという話