映画で観る姨捨

雪に埋もれる長楽寺。今年は大雪というほどには降らなさそうだが、年によってはこんなときもある。夕暮れ時にも見えるが、まだ午後3時を回ったところ。光が弱いので何とも侘しい風景だ。

真冬は屋内で過ごす時間が長くなる。そんなときは映画を見るのにちょうどいい。年のせいでもあるまいが、この頃は古い映画、それも日本の映画を観ることが多くなった。映画全盛期が1950〜60年代、当時の良いものは時代がたっても良いものだ。長く観続けられたものにはやはり理由がある。公開時にスクリーンで観たかったと思うものばかりである。

姨捨伝説を描いた名作

古くは1958年(昭和33年)、『二十四の瞳』でも知られる木下恵介監督による『楢山節考』、その後は1983年(昭和58年)に同名でもう一度映画化されたものがある。ともに姨捨が舞台というわけではないが、姨捨伝説をもとになっていることは題名のとおり、齢七十を迎えて 楢山参り をしようとする老婆とその息子の物語である。

おっ母あ 雪が降ってきたよ

松竹提供のこの写真は白黒であるが、映画はカラー、初期のカラー映画である。すべて和楽器による音楽に合わせたナレーション、そして舞台の様式が非常に 斬新な試み と評されている。

舞台は何とすべてがセット。家屋はもちろん、野道に小川、すべてがセットで、これが実によく出来ていて場面によくとけ込んでいる。遠くからこちらへ道を歩いてくる場面などセットとは思えないくらいで、本当に川が流れているのも驚くほどの出来ばえ。秋の稲刈りをする場面はちゃんと 棚田 まで作られていて、背景の山々と合わせて姨捨棚田のようにすら見えてくる。

話には村人も大きく関わり、「楢山様」、楢山参りとは何かよく分かるように語られている。実際に姨捨伝説の出来事があったのかという話はさておき、親を山へ連れていかねばいけないほどの事情があちこちの場面に描かれているのだ。そこで、翌年七十を迎える老女のおりん(田中絹代)は山に行くことを決意、息子の辰平(高橋貞二)は苦悩の日々を送る。

これを観ていてつくづく思うのは、親を背負うには覚悟がいる ということだ。もちろん、背負われて山に行く年老いた親も心を決めてのことである。ある日、稲刈りをして刈った稲を背負う帰り道、辰平はたまらず背負った稲を下ろしてしまう。母を背負っているような気持ちに耐えられなかったのだ。

この映画は数回観ているが、まだ親も自分もそれほどの年でない頃は何でもなかったことが、いざ親を見送る年になると、おりんと辰平の覚悟が実によく理解できる。幸い親を山まで送るなどせずに済む現代も、たとえ親が子に迷惑をかけまいと思っていたとしても、年老いた親を背負う重さに変わりはないであろう。その覚悟がないと、きっともう一組の親子「又やん」と倅のような最期が待っているのだ。

大量に消費される数多くの映画の中で、今も観る者を惹きつける作品はやはり理由がある。ストーリーや演出もさることながら、母子を演じたかつての映画スターの演技はごく自然な振る舞いで、やりとりについ引き込まれてしまう。映画って本当にいいものだ!

最後に、この映画はエンディングに姨捨が登場するのだが、これがびっくり仰天。せめて、上のような雪景色から棚田を眺めて冠着山に向かう終わり方をすれば余韻に浸ったまま幕が閉じたのではないかな。


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