焼きたての御幣餅 ―『夜明け前』の一場面

香蔵は手を揉みながら、
「どれ、一つ頂戴して見ますか」
と言って、焼きたての御幣餅の一つをうまそうに頬張った。その名の御幣餅にふさわしく、こころもち平たく銭形に造って串ざしにしたのを、一つずつ横にくわえて串を抜くのも、土地のものの食い方である。こんがりと好い色に焼けた焼餅に、胡桃の香に、客も主人もしばらく一切のことを忘れて食った。

木曽路はすべて山の中である」と始まる島崎藤村の小説『夜明け前』は、木曽馬籠宿を舞台に時代の出来事がこと細かく記された歴史長編だ。一方で所々に見られる食の場面には日常が生き生きと描かれ、陣屋当主の半蔵が友人をもてなして焼く御幣餅も、多くの事件が起こる中で和やかな一時を引き立てている。

棚田米くるみ御幣餅

(一人分材料)ご飯一杯 / くるみだれ ― くるみ適量 / 味噌 10g / 砂糖・醤油・酒小さじ1 / みりん大さじ1

1.炊いたご飯を粒がつぶれるようにこね回し、小判型にして串にさす

2.炒ったくるみを細かく砕き、他の材料を混ぜてたれにする

3.餅にたれをからませ、軽く焦げ目がつくまで焼く

そもそもハレの日の食べ物と言われる御幣餅。ここ北信地方では中南信ほどには目立たないようだが、焼き立ての味はこの時期に何より。モチモチした棚田米がさらにもっちりと、くるみだれが香ばしい。甘辛は好みの加減で、ご飯をよくこねるとそれらしく仕上がる。

小説に描かれた故郷の味

これらの品々は、小説の中とはいえ当時の食卓を覗くようで興味深い。たびたびの場面で様子がすぐさま目に浮かぶのは、今でも身近なものであることも理由の一つだろう。主に木曽が舞台で地勢になじみのない事柄も多く、食事も山のものが多いが、それが実にうまそうに見えるのは山国育ちのせいか。まずは、本陣の客人のもてなし。(一部括弧にかなを追加)

お平(ひら)には新芋に黄な柚子を添え、椀はしめじ茸と豆腐の露にすることから、いくら山家でも花玉子に鮹ぐらいは皿に盛り、そこに木曽名物の鶫(つぐみ)の二羽も焼いて出すことまで、その辺も清助も心得たものだ。

いつもは山のものばかりの一行が訪れた江戸を去るとき、その晩だけ刺身がついた

ここにある鮪の刺身の新鮮な紅さはどうだ。その皿に刺身のツマとして添えてあるのも、繊細を極めたものばかりだ。細い緑色の海髪(おごのり)。小さな茎のままの紫蘇の実。黄菊。一つまみの大根おろしの上に青く置いたような山葵。

焼くのは御幣餅だけではない。冬に寄った休茶屋で、背負ってきた包みから芋焼餅を取り出し

いくつかの芋焼餅は、火に近く寄せた鉄の渡しの上に並んだ。そのうちに焼餅も好い色に焦げて来る。それを割ると蕎麦粉の香と共に、ホクホクするような白い里芋の子があらわれる。大根おろしはこれを食うになくてはならないものだ。

と、これだけでも今よりも濃い 土地の味 がしそうな品ばかり。今や容易く手に入る海の幸もこうも鮮やかには見えない。芋焼餅は「芋ごね」と呼ばれ、なぜか藤村の作品にたびたび登場するもので、単に郷土料理の一つとして選んだのか、あるいは好物であったのか。いずれにせよ、山に囲まれた土地の者には嬉しいものなのだ。

その顛末は

いつの頃からか壁にかけられた原稿写しを見ていたら、その続きを読みたくなるもので、この小説も何度か読むお気に入りに入っている。

まるで史料のような話の中に綴られた人々の日常の細やかな描写は読む者を飽きさせず、実に楽しい演出であるのが作者の意図したところなのだろう。話の最後はおそらく今も多くの人にとって苦悩であり、それが淡々と救いようもなく幕を閉じるのが却って救われるような気もするのだ。


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