十五夜の夕べ − 古人も眺めた名月
十五夜お月さん
秋の夜といえば月見、中秋の名月 − これは旧暦 8月15日の夜とされ、今年2023年は 9月29日になる。必ずしも満月の日にはあたらないが、今年はちょうど満月、夜空にまんまるの月がうかんだ。
月見は豊作を願うススキに団子が供えもの。ところが棚田に来ても手にはカメラだけ。団子があればと後悔しながらススキを探すも、草が刈り取られた棚田にはなかなかススキは見られない。そこで稲刈りをすませた稲穂をお供えに満月の棚田をカメラに収めると、絵具で描いたような一枚が撮れた。
「俤や姥ひとり泣く月の友」(おもかげやおばひとりなくつきのとも)
これは長楽寺に句碑が立つ 芭蕉 の作、しみ入るような趣の一句。その後多くの俳人が姨捨を詠み、その句が寺の碑に残されている。その中の「信濃ではおらが仏とおらがそば」は一茶の作と言われながら定かでないそうだが、北信濃生まれの一茶は各地を旅する中で幾度かこの地を訪れている。
「一夜さは我さらしなよさらしなよ」
この一茶の句は、ようやく姨捨を訪れた感激を表したもの。二百年以上昔の当時はまだ千曲川を渡る橋はなく、今ほど容易に足を運べる地ではなかった。ある時は大雨に見舞われ、「百里来て姨捨山の雨見かな」などと諦め気味の句を詠んだ。
これほど苦労した先人に対し、何とも楽々とやって来ては晴れの夜に月を見るのは申し訳なさを感じながらも、多くの俳人が思いにふけった場所であることは感慨深いものである。違うことは、まぶしいほどの街の灯りとはぜ掛けを覆うシートくらいだろう。
秋は夕暮れ
日毎に秋らしくなるこの時期は、「つるべ落とし」の言葉どおり、またたく間に夕闇がやって来る。畦道に置かれたランプが点く頃には、暗がりの中で月明かりがたよりだ。
夜の棚田は田植え前後が人気だが、収穫を終えるこの時期は格別。なぜか秋風に呼ばれて夕暮れどきの棚田を眺めたくなる。
10月初旬午後5時30分、日没後20分ほどの薄暮の時間にかけて街のあちらこちらに灯りがともり始めるのがよく見える。夕方の混み合う道路の車も次第に光の点になる。
この景色もこの後5分もすれば、こちらの夜の景色に変化する。明日は脱穀。この眺めもしばらく見納めだ。
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