身近なところの歴史に残る場所

田んぼ仕事も 夏休み。今回は、いつも見ている景色の向こうに行ってみよう。

あれは小学校の最終学年の頃だったか、学校行事の遠足とは別に学級単独の社会科見学と称して十数km離れた松代町へサイクリング旅行をしたことがある。道路も今ほど整備されておらず、あぶなっかしい話だが、子どもなりに列を整え楽しく自転車を漕いで行ったものだ。その目的地がここであった。

松代大本営跡

松代大本営跡、当時はまだ公開されておらず、地震観測所が置かれていた。

周囲と内部の観測所を少し見ただけだったが(上の写真は当時、昭和50年代半ばのもの)、こんな山中に長いトンネルがあることはもちろん、信州しからば「神州」と大本営を移転しようとは、ただ驚くばかりだった。


その後、遺跡として保存する活動が始まり、平成を迎える頃には、大本営跡として一般公開されるようになった。

30年以上も経って再びここを訪れたのは暑い夏の日のこと。入口前で受付をすませ、ヘルメットを受け取ると中へ進むことができる。総延長10kmあまりと言われる地下壕のうち、公開されているのは数百メートルほど。狭くて暗い通路を歩いていくとそれ以上の距離があるように感じる。


内部の温度は夏でも15℃程度といわれ、半袖だと次第に寒気を感じるくらいになる。懐中電灯を持ってくればよかったと後悔したが、壁面などはフラッシュを使った写真で何とか見て取れる。

途中通路が分かれている箇所には金網が張られて立ち入り禁止になっている。こちらは金網越しの写真で、これ以上は進めない場所から見たようす。よく見るとずっと先にトンネルの反対側から光が差し込んでいる。

表に出ると先ほどまでの暑さも忘れ、長く閉ざされた遺跡を公開にこぎつけた市民の力に感銘を覚えつつ、誤った計画が失敗の道を突き進むとは何と不幸なことかと思うのだった。

関連ガイドはこちらで。

    松代象山地下壕のご案内 - 長野市公式ホームページ

    松代大本営 見学ガイド

長野市の小さな町、松代には城下町のさまざまな史跡が残されている。合戦場となった川中島への拠点として武田信玄の命により築城された松代城(海津城)跡をはじめ、松代藩の藩校「文武学校」など江戸時代の建築、幕末の藩士で後世に大きな影響を与えた 佐久間象山ゆかりの地と、ゆっくり見て回ると一日がかりになるだろう。

    長野市松代観光ガイド|真田の里・城下町松代を歩こう

激動の幕末がここにも

子どもの頃のサイクリングは、こうして歴史の町を一巡りして楽しい思い出になった。帰路、見慣れた一重山が近づいてきたあたりで、石碑を見つけた。知る人ぞ知る「象山砲術試射地」、兵学者である象山が製造した大砲による試射を行った場所が、当時の生萱村、現在の千曲市生萱にある。

時は嘉永4年(1851年)、試射に臨んだ象山はこれを成功させるが、砲弾がとんでもないところに落ちてしまった。試射地の松代藩領から一重山を超えて砲弾が落ちた寺は「天領」、つまり幕府領で、ことをおさめるのに数ヶ月かかったといわれる。

この時代、幕末の砲術家で先人の高島秋帆が行った砲術演習をきっかけに西洋砲術が普及した。失敗が多い砲術を、的外れとはいえ成功させたことは誇らしい成果だったろう。砲術家として名を上げた象山だったが、嘉永6年には黒船が来航、その後の波乱に巻き込まれる中で生涯を閉じている。

碑の近くに象山の詠んだ歌がある。騒ぎも何の、
試射の成功を自ら讃えているようだ。


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