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デルス・ウザーラ

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『 デルス・ウザーラ 』は1975年公開の 黒澤明 監督の映画である。黒澤映画の中では異色とも言える作品を取り上げるのは、そのテーマが映画とともに忘れ去られることのないように願ってのことである。正直言うと、ただ好きな映画で、この寒い時期に観るのにちょうどいい映画だからというのが理由でもある。 原作はロシア人探検家のウラジーミル・アルセーニエフによる探検記録で、監督は助監督時代にこれを読み、映画化を考えていたと言われている。ようやく製作に至った本作は、カラー作品の2作めにあたる。(写真は宣伝ポスターの一部) 大自然の中の出会いと別れの物語 ロシア政府の命を受け地図製作のために探検隊を率いる アルセーニエフ 隊長は、先住民の猟師 デルス・ウザーラ に出会う。デルスを先導役として、広大なシベリアの原野を進む一行。極寒の地で多くの苦難に向かいながら、デルスと隊長ほか隊員の間に生まれる信頼と友情、最後の別れ ―「 カピターン! 」、「 デルスー! 」 とてもシンプルな物語であるが、零下30度もの地でこれを映像にすることがいかに困難であるかは、ただの視聴者にも容易に想像がつく。この映画について、監督はこう述べている。(作品解説より) “ この映画でいちばん大変だったことは、やはり自然を画面につかまえることでしたね。「ヨーイ、スタート!」と号令をかけても、これは、別に言うことを聞いてくれる相手じゃない。また、昨年はソビエトでは、秋のシーズンが非常に短かくてね。仕方がないので、シナリオを書き直したり、苦しまぎれに特別な技術を使ったりもしました。ところが、そういう部分が、画面になってみると、意外に面白かった。 ” 吹き荒れる雪嵐 、 一面氷の世界 、 夜にソリを引いて進む隊員を照らす赤い太陽 、どれも作り物でない圧倒的な自然。しかし、やはりそこは黒澤映画。氷の塊が妙に芸術的だなと思って見ていたら、何と監督ほかスタッフが氷の形を手で整えて作っていたのだそう。画面にはわずか数秒しか映らないのに。 探検は冬だけではない。画面が鮮やかな緑に切り替わったかと思うと、気温が30度にもなるというシベリアの夏。夏の探検もよく撮ったものだと感心するばかり。俳優さんは大変なことだったろう。 ところで、このデルス役の俳優さん、いかにも原野から現れた自然人に見えるのだが、現地で採用...

映画で観る姨捨

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雪に埋もれる長楽寺 。今年は大雪というほどには降らなさそうだが、年によってはこんなときもある。夕暮れ時にも見えるが、まだ午後3時を回ったところ。光が弱いので何とも侘しい風景だ。 真冬は屋内で過ごす時間が長くなる。そんなときは映画を見るのにちょうどいい。年のせいでもあるまいが、この頃は 古い映画、それも日本の映画 を観ることが多くなった。映画全盛期が1950〜60年代、当時の良いものは時代がたっても良いものだ。長く観続けられたものにはやはり理由がある。公開時にスクリーンで観たかったと思うものばかりである。 姨捨伝説を描いた名作 古くは1958年(昭和33年)、『二十四の瞳』でも知られる木下恵介監督による『楢山節考』、その後は1983年(昭和58年)に同名でもう一度映画化されたものがある。ともに姨捨が舞台というわけではないが、姨捨伝説をもとになっていることは題名のとおり、齢七十を迎えて 楢山参り をしようとする老婆とその息子の物語である。 おっ母あ 雪が降ってきたよ 松竹提供のこの写真は白黒であるが、映画はカラー、初期のカラー映画である。すべて和楽器による音楽に合わせたナレーション、そして舞台の様式が非常に 斬新な試み と評されている。 舞台は何とすべてがセット。家屋はもちろん、野道に小川、すべてがセットで、これが実によく出来ていて場面によくとけ込んでいる。遠くからこちらへ道を歩いてくる場面などセットとは思えないくらいで、本当に川が流れているのも驚くほどの出来ばえ。秋の稲刈りをする場面はちゃんと 棚田 まで作られていて、背景の山々と合わせて姨捨棚田のようにすら見えてくる。 話には村人も大きく関わり、「楢山様」、楢山参りとは何かよく分かるように語られている。実際に姨捨伝説の出来事があったのかという話はさておき、親を山へ連れていかねばいけないほどの事情があちこちの場面に描かれているのだ。そこで、翌年七十を迎える老女の おりん (田中絹代)は山に行くことを決意、息子の 辰平 (高橋貞二)は苦悩の日々を送る。 これを観ていてつくづく思うのは、 親を背負うには覚悟がいる ということだ。もちろん、背負われて山に行く年老いた親も心を決めてのことである。ある日、稲刈りをして刈った稲を背負う帰り道、辰平はたまらず背負った稲を下ろしてしまう。母を背負ってい...

道すがらの道祖神

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新年の化粧直し 近所の空き地に立つ 道祖神 。このあたりの集落は昔からの街道沿いにあるので、道端に道祖神が祀られているところが多い。一般的に夫婦の像が連想されるが、大抵は簡素に文字を刻んだ碑で、その中でひときわ目立つのが、この藁で造られた像である。 藁の道祖神は、山道などで見ることがあっても、周りが住宅ばかりのところに現れると珍しく、不思議な感じさえする。通りで目立つから、行き来する人たちもたまに携帯カメラを向けている。 そもそも十数年ほど前に、地元の 神楽の会   の皆さんが始めたのがきっかけで、他所のものをまねて作ってみたらしい。その頃は、裏手に築百年近くの住む人のいない古屋敷があって、狸がいると噂になり、この道祖神にはぴったりの背景だった。 こうして、新年の どんど焼き に集めた正月飾りを使って衣装替えをするようになり、お飾りをそのまま使うところもあれば新たに撚り直して仕立てもする。一年たってかなりくたびれてしまった道祖神も、皆さん慣れたもので、すっかりきれいになった。 地域に伝わる どんど焼き は、正月行事の一つで、なかなか面倒がことも多いので廃止されるところもあると言う。幸い、ここでは無事受け継がれて今年も行うことができた。火祭りを街中でするのは大変なことで、最近は住宅地の公園で行い、準備から片付けまで結構な一仕事である。それでも、子どもたちには嬉しい行事で、毎年多くの家族連れで賑わう。 一昔前は子どもの数も多く、大勢の人であふれるほどだったのを覚えている。しかも夜に行っていたから、夜空に舞う火花を見ているだけで楽しいものだった。ここで焼いた 餅 はご利益があると、餅をアルミ箔にくるんで竿に吊るした姿はさすがに今では見られなくなった。 棚田もようやく冬景色 暖かかった正月もだいぶ冷え込むようになり、棚田も少しばかり雪化粧。年末までに雪が積もると根雪になるが、わずかばかりの雪はお天気が続くと溶けてしまう。棚田にも陽があたるが、午後3時になれば太陽が山に隠れてしまい、平地のようにはなかなか雪は溶けない。雪景色を見るにも、このくらいの方が風情があるものだ。

年の始めに

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この度の震災にあたり、早期の復興を祈念いたします― 冬の日本海 先月から比較的温かい日が続き、春を思わせる陽気の年明け。よく晴れた日は、お隣りの新潟県は上越まで出かけると、とても穏やかな海が目の前に広がる。何しろこちらは山国育ち、海を見るだけで嬉しくなるものだ。 海はいい。こんな景色を窓から見ながら海に近い道路を走るだけでも楽しい。急ぐことがなければ下の道がいい。能生あたりの漁村や、糸魚川、親不知まで足を運ぶと絶景が待っている。 海はいいが、海のものはなおさら良い。流通が発達して多くのものが手に入る現代でも、やはり海の市場へ行けば豊富な海の幸が揃っている。こんなものが毎日の買い物で手に入るのだから、何と羨ましいことだろう。 正月の食卓 ありふれた小いわしの煮干しも、よく炒って少し甘みを加えて甘辛く、サクサクと歯ごたえの良い田作りに。つややかな朱色をした海の卵はふっくらと。数の子は甘く酢漬けにしておくとほどけるような口当たりになる。一番は 昆布巻き 。鮭を巻いたものも良い味がするが、やはり食べ慣れた鰊と昆がこの上ない組み合わせである。 この時ばかりは、手間をかけて作ったお醤油豆や野沢菜漬けはすっかり影をひそめてしまう。海老に蟹にときりがないおせちも、これだけで十分すぎるほどだ。 昆布巻きにはよく日高昆布が使われる。昆布の生産地について、 利尻昆布 で知られる利尻町の ウェブページ に「利尻こんぶはだし昆布です。北海道産の昆布が出回る北陸では昆布巻きやとろろ昆布、おぼろ昆布…」とあった。だし昆布を使うとは意外な気もしたが、何しろ富山は昆布の消費量が日本一。さまざまな昆布料理があるから、これもありなのかもしれない。 そこで今回、利尻昆布で作ったのが写真の昆布巻き。何しろ硬い昆布だから、いくら煮込んでも崩れる気配がまるでない。コシがあって柔らかく、鰊もホロリとする食べやすい昆布巻きになった。 もう一つの長野の海 上越にとどまらず、さらに新潟まで向かう人もいれば、西へと向かって富山まで足を運ぶ人もいる。富山などは、この時期、海の幸を味わうには最高で、蟹もいいし寒鰤もちょうどよい頃である。山ばかりに囲まれた長野と違い、富山は立山連峰を背にして海を眺め、海からは山々を拝むことのできる、実に羨ましい土地だ。日頃からこんな風景を見ていたら、もっと...