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11月, 2023の投稿を表示しています

町とそこにいた家族の記憶

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町のおもかげ これは50年の間、机の中にしまわれていた写真である。すっかり姿を変えた長野駅前の昭和30年代後半とは、今そこを歩く人すら思いもしまい。写真とは酷なもので、多くの人で賑わう華やかなはずの街がすっかりくすんで見える。いや、これが本当で、目に映っていたのはわずかな部分だけだったのだ。 撮影した私の父は「兼業画家」をしていた。その作がこちら、これだけ描いて、あとは他所ばかり描いていた。それはさておき、記憶にある街はと聞かれたらこちらが思い浮かぶ。 人が思い描く街の姿は、歩いているとき、ふと立ち止まったときに目をやり、細部よりはその雰囲気を感じるものだ。そういう意味では、これが画家の仕事なのだ。 駅前や市内には絵になる場所はいくらもあるが、なぜこの場所を選んだかは当人しか知らない。左の「こおむら」のビルは、当時にしてだいぶ古びて見えるが、およそ形を変えず現在も建っている。改装したか、隣の建物もきれいに残っている。駅から何まで大きく変わった長野駅前で、半世紀以上も変わらぬ姿を残し、昔の町並みを思い出すことのできる数少ない場所である。そんなことをお見通しのようにも思える絵だ。 昭和中頃の更埴市 当時の千曲市、昭和のこの頃であれば更埴市(昭和34年に合併して更埴市になった)の市街のようすは残っていないかと探してみても、町の写真などは普段は撮らないものだから、なかなか見つからない。いくつか父が撮ったらしいものがあった。 これなどは何を撮りたかったのか、何もない景色。現在の市役所のあたりから東山(一重山)を見たもので、真ん中にあるのは昔の学校のようだ。周囲は田んぼばかりの頃である。 この道路沿いの家々も今や形をとどめず、かつての姿など知らない人々が車で通り過ぎる道路である。 悔やまれるのは、その後、なぜ今に至るまでの風景をもっと残しておかなかったのかということだ。家族や町並みが写った記憶。今でも残る建物を見るように、すべてを色濃く描き出してくれたであろう。 客人が訪れた記念と母娘。多くはこの世を去り、いずれ人の記憶からも消えてしまう。この家族のおもかげも、知らない人には風景の一部にすぎず、むしろ昔の町並みに興味を覚えるかもしれない。 この駅へ続く通りも、その後は交通量が増える一方であったから、お役所も道路を広げることに熱心で、町はすべ...

焼きたての御幣餅 ―『夜明け前』の一場面

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“ 香蔵は手を揉みながら、 「どれ、一つ頂戴して見ますか」 と言って、焼きたての御幣餅の一つをうまそうに頬張った。その名の御幣餅にふさわしく、こころもち平たく銭形に造って串ざしにしたのを、一つずつ横にくわえて串を抜くのも、土地のものの食い方である。こんがりと好い色に焼けた焼餅に、胡桃の香に、客も主人もしばらく一切のことを忘れて食った。 ” 「 木曽路はすべて山の中である 」と始まる島崎藤村の小説『 夜明け前 』は、木曽馬籠宿を舞台に時代の出来事がこと細かく記された歴史長編だ。一方で所々に見られる食の場面には日常が生き生きと描かれ、陣屋当主の半蔵が友人をもてなして焼く御幣餅も、多くの事件が起こる中で和やかな一時を引き立てている。 棚田米くるみ御幣餅 (一人分材料)ご飯一杯 / くるみだれ ― くるみ適量 / 味噌 10g / 砂糖・醤油・酒小さじ1 / みりん大さじ1 1.炊いたご飯を粒がつぶれるようにこね回し、小判型にして串にさす 2.炒ったくるみを細かく砕き、他の材料を混ぜてたれにする 3.餅にたれをからませ、軽く焦げ目がつくまで焼く そもそもハレの日の食べ物と言われる御幣餅。ここ北信地方では中南信ほどには目立たないようだが、焼き立ての味はこの時期に何より。 モチモチした棚田米がさらにもっちりと、くるみだれが香ばしい 。甘辛は好みの加減で、ご飯をよくこねるとそれらしく仕上がる。 小説に描かれた故郷の味 これらの品々は、小説の中とはいえ当時の食卓を覗くようで興味深い。たびたびの場面で様子がすぐさま目に浮かぶのは、今でも身近なものであることも理由の一つだろう。主に木曽が舞台で地勢になじみのない事柄も多く、食事も山のものが多いが、それが実にうまそうに見えるのは山国育ちのせいか。まずは、本陣の 客人のもてなし 。(一部括弧にかなを追加) “ お平(ひら)には新芋に黄な柚子を添え、椀はしめじ茸と豆腐の露にすることから、いくら山家でも花玉子に鮹ぐらいは皿に盛り、そこに木曽名物の鶫(つぐみ)の二羽も焼いて出すことまで、その辺も清助も心得たものだ。 ” いつもは山のものばかりの一行が訪れた江戸を去るとき、 その晩だけ刺身がついた 。 “ ここにある鮪の刺身の新鮮な紅さはどうだ。その皿に刺身のツマとして添えてあるのも、繊...

もうすぐ冬の大田原

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もうすぐ冬 朝すっかり冬の冷え込みを感じる頃は、空が晴れわたり、色づく山々が最も美しく見える時期である。小春日和の日は、暖かい日差しの中で時間を過ごしたくなるものだ。 夏の間、田んぼや畑の世話にかかりきりだった農家のおじさんおばさん達は、ようやく訪れた休息の季節に生き生きとして方々に楽しみを求め出かける。千曲市桑原の 大田原 もそんな場所の一つである。 標高770mの山村 どこまでも青い空、空気のきれいな山村は、空が少し近く見える。ここは多くのマレットゴルフ愛好家がこぞって訪れる 大田原マレットパーク 。ちょうど誰もいなかったので、場内から青空を一枚。 もともと地域振興の一環として開発されたパークは、コース周囲の小道に入るとすっかり山の中、高原を散策している気分にひたれる。ぐるりと一周すれば、昼飯にはちょうどいい頃。 ここの やまぶき食堂 を訪れる人のお目当てはやはり そば 。新そばの時期はそば祭りに多くのそば好きがやって来る。普段でも営業日には手打ちそばが楽しめる。マレットパークに合わせて昼どきの営業なので行く前に確認を忘れずに。 そのお味は、写真を撮るのを忘れるほどとしておこう。嬉しいことに、 地元農家の育てた野菜や豆、米 も出ていることがあり、おみやげにちょうどよい。きれいな湧き水で育った米はやはり美味しい。 山寺も秋から冬へ 秋の空と空気、そしてそばを満喫した大田原めぐりの帰り道、見慣れた景色が目に入ってくると、いつもの場所に寄りたくなった。 長楽寺 はちょうど紅葉が見頃。この時期は鮮やかな彩りの山寺を撮ろうとカメラを手にした人も多い。この写真に写る 観音堂 の脇の石段を下りながら色づいた木々を見上げるのが最もよい眺めだ。 門の横にある芭蕉の句については 月見の回 のとおり、ほかにも境内には多くの句碑が並ぶ。芭蕉の碑の上に向かい 月見堂 が建つ。 境内には大きな「 姨岩 」が立ち、その上からは眼下に善光寺平が広がる。棚田とはまた違った方向から眺める景色だ。本堂の脇からも見晴らしのよい眺め。うまそうな干柿ができそうだ。