投稿

6月, 2023の投稿を表示しています

上の田と下の田 ― 棚田ともう一つの田のこと

イメージ
どんよりとした梅雨空 になると、もやがかかってまるで水の中にいるようにじっとりする。梅雨が進むにつれ、次第にこんな日が増えてくる。 今回は少しばかり棚田から離れ、もう一つ別の田の話をしておこう。無関係なようでも、棚田と関係があるかもしれない話である。 棚田で米を作ろうと思ったのは… わが家はその昔、田に畑にと耕作を営む兼業農家であった。都市化に合わせて次第に農地を手放してしまったが、祖父の生家である本家では長らく水田をはじめ、果樹・花木まで農業を生業としてきた。その主も年齢をとり、小ぶりながら細々と続けているところへ、ちょうどいい手助けがやって来た。 お互い好都合な話で、こちらとしても米一袋もちょうだいすれば十分と、子どもの頃によく遊んだ田で手伝いを始めたわけである。棚田のオーナー制度に申し込んだのもちょうどその頃、手作業の田植えや稲刈りに懐かしさを感じたからかもしれない。こうして、長らく本家の田んぼと呼ばれた田は 下の田 と呼ばれるようになった。 棚田よりひと月遅い田植え ― ここは古くからの 二毛作の名残か、今も遅く植える田が多い。 苗作りも手間だが、田植えは機械なので楽だ。 今や二反歩足らずの田から収穫した米の半分以上は売り物である。二反というと、 上の田 ― つまり棚田のオーナー田は一畝(約100㎡)ほどだから、そのおよそ20枚分の広さだ。棚田の面積と収量については、またふれることがあるだろう。 棚田から見下ろすと、今でこそ近代的な市街地に変わった市内も昭和初期頃までは 水田が広がる農村地帯 であった。姨捨棚田は千曲市八幡、かつての更級郡八幡村にあり、私がいる地区は埴科郡と呼ばれていた。現在はともに千曲市の一部である。 棚田からの眺めは飽きることがない その頃は姨捨に上がると「下の田」の本家の塀の白壁が見えたそうで、 周囲は田んぼばかり であったことが想像できる。今のこの景色を眺めては、そう遠くない昔の風景を思い描くのも楽しいものだ。市街の背後にある小さな山は一重山、まん中の落ち込んだところは採石によるもので、以前はひとつながりだったという。 当時の一族が所有する田畑は数町歩に及んだとのことで(一町は一反の10倍)、中々のおダイジンであった。農地改革を経て、それが次第に縮小するさまを見ながら農業を営んで...

梅雨の晴れ間の棚田は…

イメージ
田の草取り にちょうどよい。 収穫までに 3回の一斉除草 が予定されているが、実際のところ、特に除草剤を使わない田は稲に混じって生える田の草に早めに手を打つ必要がある。ひとたび勢いを増すと手に負えなくなるので、手作業だけでは難しいようであれば 初期の除草剤散布を利用する 選択もできる。その他、田んぼの水もオーナーの知らぬうちに管理をしてもらえる。ともかくオーナーは草を取ればよい。 私は草取りもあるが、見晴らしのよい景色、新鮮な空気、日々変化する田のようすを楽しみに、一週と空けずに山に出向いている。いわば地の利というわけだ。 田植えを終えてから5日もすれば苗が根づき、田の中を歩き回っても浮いてしまうことはない。まっすぐに植えた苗の合間にポツポツと生える雑草を目当てに歩きまわる。何しろ、お天気次第では畝の間が あっという間に雑草だらけ になることもある。 田植えから3週ほどたち、だいぶ緑が増えてきた。 畝の向きを思案したところで緑一面になればそう違いはないが、長手だと草取りもしやすい。まだよく見える水面を見回しては、苗の合間に田の草を見つける。 まっすぐな列から外れた草 はすべて雑草。後々の手間を減らすために、ひとふんばりする。 まず目につくのがヒエ 稲によく似た ヒエ (→)はイネ科の雑草で、一緒に伸びてくると見落としがち。後になって株の半分がヒエだった、なんてこともある。 よく知られる見分け方として、稲には葉耳という 輪っかになった毛 のようなもの(○の箇所)があるが、ヒエにはない。ともかく列から外れたものはすべて抜いてしまう。 私のところは最初の年にひどく煩わされ、エライことを始めてしまったと不安になったものだ。盆の頃に少し間を置くと、その後でひときわ高く伸びたヒエに驚いた人もいるだろう。その年は残されていた種が多かったのだろうか、ついつい後手後手になったこともあり、取り除くのはとても手間がかかった。 ひとくくりに雑草といっても、それぞれに名のついた草である。毎年繰り返し草取りをしていると次第に覚えるもので、私の田ではヒエ以外に ホタルイ 、 コナギ が目立ち、セリなどもまばらに見られる。 その他にもおなじみの草が… あちこちと伸びはじめたホタルイ。見づらいが、水中にはへばりつくようにコナギも生えてきた。 何しろ、このく...

初夏から梅雨 ― 田植えで始まる一年

イメージ
5月下旬、梅雨を前に棚田は にぎやかな一日 を迎える。 100組近いオーナーが総勢400名も集まると、日頃はひっそりした棚田がお祭り騒ぎのようになる。先月末に終えた田植えと、これまでの経緯を振り返ることにしよう。 今年で13年目のわが家。だいぶ経ったなぁとは思うが、お隣の田んぼでは20年以上も続けられているそうで、しかも遠方からとのこと。この場所が気に入り、長らく継続されているオーナーさんも多いのだ。 三々五々集まり、ひたすら植えて、終えたらぼちぼち帰るという、何とも 地味で根気のいる 活動であるが、観光地巡りに加えて、参加・体験ができることが楽しみを増やしてくれる。そのために準備を整えてくれる地元農家の「名月会」の皆さんは頼もしい存在で、田植えや稲刈りの経験がなくても作業のやり方を親切に教えてもらえる。 さしあたりオーナーは、作業に適した装備を用意し(長靴はもちろん、日差し対策も)、程よい人手を集めておくのが仕事だ。大所帯に小人数、グループそれぞれに楽しみ方があるようで、わが家はもっぱら2人程、ときどき助っ人が加わる小世帯である。この程度でもできるからイベントとして楽しむのにちょうどよい塩梅だ。 さあ田植えだ、始めよう! 田にたどり着くとすっかり準備が整っている。水も入っているし、苗も必要なだけ揃っている。何ともありがたいことで、 どうやって始めればよいのか 分からない場合も、先の名月会が頼りになる。 基本的に、 (1)まっすぐ植えるために紐を張り、(2)正しい間隔をとりながら、(3)2〜3cm程の深さに植えればよい のだが、なかなか難しいのは、どの田も形が違うことだ。 例えば、紐を張るにしても長手に張るか短手に張るか、私は最初のうち説明にならい短手に張っていたが(下の①)、これはとても時間がかかる。この向きは南北方向にあたり日当たりを考えてのことであろうが、付近の地元農家の似たような地形の田を見ると東西の長手に植えている(②)ところが多い。 斜面の等高線沿いに植え、畦の縁沿いに巧みに曲線を描くように ― つまりは 見た目よく 仕上げるためだなと解釈して、自分も同じように植えると時間も短縮できて実によい。多少曲線が揺らぐのは手植えの味でもある。 苗の間隔 は、貸し出される棒をガイドにして 30cmの畝間 (上図の線の間隔)をとり...

季節はめぐる ― 姨捨棚田の四季

イメージ
まずは、 ごあいさつ がわりに棚田の景色を。 田んぼ仕事の合間に撮りだめた季節折々の風景。稲の育ち具合に目をやりながら背景の市街地を見渡しただけの「見たまんま」なことろがお気に入り。 田植えが終わり にぎやかな田植えの後のひっそりとした田んぼ。梅雨の合間をぬって草取り 実りの秋を迎え お盆を過ぎて穂が出揃うも、まだまだ草取りは続く 十五夜の棚田 時には日頃と違う風景も楽しいものです 一面の雪景色 これは60年に一度の大雪! 住まう場所 ― 棚田から見渡す市街地は長野県千曲市。県北部の人口6万人足らずの市である。 ここを生活の場に選んだのは、人が生まれ育った土地に帰るという成り行きからで、棚田も生活にひと区切りつけるための場所だったのかもしれない。 この記事は、オーナー制度に参加して12年にわたる年月を振り返りながら、棚田に関心を持つ人、参加を考えている人に、棚田の日々のようすを伝えられればと思い記すものである。 それでは、今年も無事お米ができますように。 ・画像をクリックすると拡大表示されます。PCなどの大画面でご覧ください。サイズによっては表示に時間のかかることがあります。なお、写真は必ずしも記事作成時のものとは限りません。 ・棚田オーナー制度についての情報は、千曲市「 棚田貸します制度について 」をご覧ください。 このサイトに掲載された写真は、特に注記がなければすべて作成者が所有します。検索エンジンなどによる表示や個人での鑑賞を除き、承諾を得ることなく配布やその他の目的で使用することはご遠慮ください。